入院中に2回目の抗がん剤治療も無事終わりました。

その間も、ずっと、自宅から、病院に通い続けました、
正直、きついなぁと思うときもありましたが、母親という存在は本当に大きいですね。

後は、仕事が自営業というのも、助かりました。
普通のサラリーマンや勤め人でしたら、会社を休めず、行けるのは週末だけでしょう。

毎日、行けるのは、しんどかったけど、ある意味幸せだったかもしれません。

そして、母の2回目の抗がん剤治療から、特に以上がなければ、
一週間後に退院が決まりました。

あーやっと、遠くまでの病院通いが終わるという安堵と共に、
母に何かあった場合(急の体調不良等)ここまで、連れてこれるだろうか?との心配もありましたが、なにわともあれ、家に母が帰って来るというのは無常の喜びでした。

入院当初は、早く家に帰りたくない?と聞いても、別に帰りたいと思わないと、
寂しいことを言っていましたが。

段々と気力体力が回復すると共に、早く帰りたい!と言うようになったので嬉しかった。

もう、毎日、暇だよ!ヒマでヒマでしょうがないよ!お前変わってくれと退院を急かされました。

もうすぐだよ、退院したくなくても、その日がくれば退院なんだから、
今のうちに入院生活を満喫しておきなと冗談を言っていました。

この頃には、同じ病室の人ともすっかり打ち解け、中でもWさんという方が、
とても、お世話をしてくれて有難かったです。

このWさんは身長147cmの母より小柄でしたが、気力にあふれ、
同室の患者さんのご飯のお盆を下げてくれたりして、とにかくエネルギッシュでした。

母に、あの人本当に病気なの?と聞くと膵臓がんで手術ができないんだって、
と言い、あんな元気な人が末期癌なんて嘘だろうと思いました。

そのWさんは、地元の人だったので、その人柄もあり毎日違う友人、知人が訪れていました。

母と院内を散歩している時に、少し会話が聞こえてきました、
その内容は、友人らしき人に、次に合う時は生きてないからと明るく話していました。

ガンだからこそ、言える冗談だなとこの時は特に気にもとめませんでしたが、
今思うと冗談ではないと思います。

癌で一番、厄介なのは膵臓がと言われているので、この方も助からないと思っていたのかも・・・

でも、本当に元気だったので、まったく死という事を連想させませんでした、
しかし、今思うと、この人も抗がん剤治療であろうと思うと、持って2~3年、もしかしたらお亡くなりになっているかも・・・

この後も、母との院内散歩中や一階の開けた場所などで、毎日のように顔を合わせましたが、
時折、耳にするのが、次会う時は生きていないよと笑って友人に話していました。

それにしても、ずいぶん率先してお世話をしてくれるなぁと思っていたら、
母が言うには、以前に病院で配膳のような事をしていたらしいです。

あぁ、それでテキパキと慣れた感じでこなしているんだと思いました。

本当に、元気があって、良い人だったので、抗がん剤治療がうまくいって、元気になっている事を願ってます。

このWさんから、この病院は医療体制がしっかりしてるから、
少し遠くても、ここに通ったほうが良いよと言われたらしいです。

手術ができると信じていた頃は、二階にある手術室の近くに行き、ここで手術するんだ、
そしてエントランスの近くに家族の待合室があり、ここで何時間も待つんだねと話していたのを思い出します。

まあ、手術はできませんでしたが、そんなこんなで、あっという間に母の退院迄あと一日となりました、
やることがなくて退屈で死にそうだと騒いでいましたが、とにかく明日退院です。